令和5年度夏季展「殿様たちの自由時間ー植物をめぐるモノ語り」
更新日:2023年7月7日
徳川昭武が興味を持った植物とは…
展覧会概要
今回の展覧会では徳川昭武の多彩な趣味の中でも植物に注目し、徳川昭武が植えさせた植物や園芸についての品々を、松戸徳川家資料を中心にご紹介します。
さらに今回は、千葉大学アカデミック・リンク・センター(附属図書館)と連携協力し、松戸分館が所蔵する江戸~明治時代の植物に関する貴重書や、日本植物学の父・牧野富太郎が監修した図鑑などを特別に展示します。「植物」というテーマを通じて、戸定が丘一帯の“モノ語り”に触れ、新たな気づきや発見に出会える展覧会です。
会期詳細
令和5年7月8日(土曜)から令和5年9月3日(日曜)
※資料保護のため、貴重書、古写真などの展示品は適宜入れ替えを行います。
展示詳細
徳川昭武と多彩な趣味
徳川昭武は、フランスから帰国した15歳から29歳までの14年を水戸徳川家当主として過ごしました。現在にあてはめて考えると、「中学3年生の終わり~高校生~大学生~社会人」にあたる期間に、徳川家のため、水戸の人たちのためにさまざまな方面で力を尽くして過ごしたといえるでしょう。
そうした環境にあっても、彼の好奇心や好きなものに対する情熱が無くなってしまうことはなく、当主時代にも4年半にわたって長期のフランス留学を実現しています。後に松戸の戸定邸に移住してからは、写真、陶芸、旅行、自転車、釣り、狩猟など幅広い趣味に熱中し、親族や友人たちをはじめとした個人的なつながりも広がっていきました。
植物への興味
徳川昭武は戸定邸の完成と前後して、庭づくりにも取り組み始めます。戸定邸の庭園は、同時代の庭園と比べると独自の要素がいくつも見られます。昭武自ら樹を選ぶ現場に赴いたり、植える場所、芝生の植栽に関して具体的な指示を出したりした記録があるので、「昭武自身の意向が庭園に反映されている」ということができるでしょう。
庭づくり以外でも、昭武は植物に強い関心を示し、戸定邸の敷地内にさまざまな植物を植えさせました。また、フランスからメロンの種を取り寄せて大橋地区の農家に育てさせ、実がなったところを写真に残しています。生母・秋庭が熱中していた万年青栽培の様子や立派な植木鉢が写っている写真もあり、植物は親子をつなぐ趣味だったといえるかもしれません。
戸定邸をめぐる植物ー昭武と植物と千葉大学園芸学部とー
千葉大学園芸学研究科/園芸学部は、明治42年(1909年)、千葉県立園芸専門学校として始まり、日本の植物研究の先端を担ってきました。実は、千葉県立園芸専門学校は、徳川昭武から土地の一部譲渡を受けた県立千葉中学校松戸分校の施設を利用していて、隣接しているという以外にも戸定邸とゆかりがあるのです。また松戸キャンパスには、日比谷公園や新宿御苑などとともに近代造園遺産に指定されている3つの庭園があり、近代庭園という要素でも戸定邸とご縁があります。
今回の展覧会では、千葉大学アカデミック・リンク・センター/附属図書館 松戸分館の許可を受け、貴重書を展示します。江戸時代、明治時代に出版された本を通じて戸定邸と昭武ゆかりの植物をご紹介します。
旅行と写真
明治時代、華族や富裕層の間に、海辺や高地などの避暑地、別荘地への旅行が広まり、徳川昭武も家族や親族と各地を旅行しました。水戸徳川家ゆかりの茨城県、静岡県、人気観光地の富士山や箱根のほか、京阪神、三重(伊勢)にも行っています。千葉県内では稲毛や館山へ行った記録があります。当時、海水浴は健康に良い医療だと考えられていて、稲毛は有名な保養地でした。
昭武一家も夏には海水浴に行っていて、子どもたちの夏休みに合わせた家族旅行だったのかもしれません。旅行先では、風景や名所、家族の集合写真などを撮影していて、旅行の記録写真を撮る「お父さん昭武」の姿が浮かび上がってきます。
展示品の一部
「四号 ムロン・シュクラン・ド・テウール」1907年7月24日 徳川昭武撮影
植木鉢(瑠璃釉 鶴波涛文)
展示品
約70点(作品保護のため入れ替える品や、複写写真を含みます。)
特別企画
千葉大学アカデミック・リンク・センター/附属図書館 松戸分館から貴重書をお借りして展示しています。
ご注意ください!
- 期間中、作品保護のため、一部展示替えを行います。
- 作品のコンディションによって、展示内容が変更になる可能性があります。