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日本の食を支える松戸の粉もの企業を調査しました

更新日:2022年3月7日

まつまつ

日本の食を支えている国内有数の粉もの企業が松戸市内に工場を構えているんだ!

各企業のロゴマーク

松戸が誇る市内の粉もの企業

 ラーメン店とベーカリーが数多く出店している街・松戸には全国的な支持を得ている店舗がいくつもあり、関東のみならず他の地方からもたくさんの人々がラーメン・パンを求めて松戸市を訪れています。ラーメン・パンが人気の松戸市は、小麦粉やそば粉、米粉などの穀物が材料に使われている食品、いわゆる“粉もの”の街といっても過言ではないかもしれません。松戸市で長年に渡って事業を展開している製粉メーカーの他、「パン=松戸」のイメージを醸成した先駆者である企業の松戸工場についてご紹介します(※ 掲載情報は2022年3月2日時点のものです)。
 2021年12月に松戸市民を対象に実施した「くらしに関するアンケート調査」から、松戸市民の食の嗜好やお勧めしたい松戸市の名物などが見えてきました。アンケート調査結果も、ぜひ併せてご覧ください。

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1.川光物産(玉三白玉粉)

江戸時代から現代まで、日本の食卓・メーカーを支える老舗

 松戸市内の穀粉類の製品メーカーで1番の老舗といえば、玉三白玉粉やきな粉、片栗粉を製造・販売している川光物産株式会社です。同社の祖は、江戸時代を生きた河合弥次兵衛(かわいやじべえ)氏です。1667年に江戸・日本橋から現在の松戸市根本に住居を移し、農耕と米穀・雑穀集荷業を開始し、川光物産の礎を築きました。
 時は流れ、13代目の川井光之助氏が1887年に川光商店を設立し、従来の米穀集荷業に加え、精米業と酒や薪・炭の販売も始めました。また、1913年には精麦業も開始しました。それから数年後の1921年に転機が訪れます。元々、玉三白玉粉を製造・販売していたのは、玉屋三次郎氏が創設した日本白玉株式会社でした。一説によると、白玉は室町時代から存在しており、庶民の間では江戸・明治・大正と親しまれ続けていました。白玉粉の原料であるもち米を日本白玉に納入していた縁もあり、1921年に日本白玉から「玉三白玉粉」を継承したのです。玉三ブランドの白玉粉は人気で、1923年には摂政宮殿下、のちの昭和天皇へも献上されるほどでした。
 同社の調査によると、玉三白玉粉の関東地方でのシェアは6~7割、全国では3割ほど(コンビニエンスストアのプライベートブランドの製造も含む)で、日経POS情報の調査によると「玉三白玉粉 200g」は、平成で最も売り上げた白玉粉と認定されています。確かに白玉は、老若男女問わず、誰もが手軽に調理できる食品です。同社が小学校を対象に工場見学を実施した後には、その小学校の通学エリアにあるスーパーで白玉粉の売り上げが伸びるそうで、白玉が簡単につくれる身近な存在として認知されている様子がうかがえます。コロナ禍に保育園・幼稚園・学校が休園・休校になった時期に「子どもと一緒に作れる」という観点からホットケーキミックスが品薄となり、白玉粉も同様に人気が集まりました。水を加え、こねて、食べ方をアレンジできる白玉は、自粛生活の不安や疲労を解消する一助にもなったようです。近年は好きな形を作り、色付けをして楽しむ「デコ白玉」が話題になっており、ぜひ体験してみてはいかがでしょうか。


 お膝元である松戸市民への白玉の浸透度合いは高く、81%の人が「白玉を食べたことがある」と回答しています(全体n=546)。松戸市の学校給食では、フルーツポンチの中に白玉が入った「フルーツ白玉」などの白玉を使ったメニューが以前から提供されています。また、15歳~49歳の親子世代の半数以上が「白玉をつくったことがある」と回答していることから、学校での給食と家庭での白玉づくりの経験が、市民の約8割が「白玉を食べた」につながっているようです。松戸市民にとって、白玉は幼少期と家族の思い出の詰まった食べ物なのかもしれません。同社は、白玉粉の利用シーンの拡大のため、様々なレシピを考案しています。例えばパンケーキの生地に混ぜてもちもち感をアップさせたり、鍋料理の具材の一つとして白玉を入れるのもお勧めとのことです。様々な困難に直面してストレスを受けやすい現代において、美味しく食べられるだけでなく、つくる過程で癒しや平穏も得られる白玉の重要性は、今後さらに増していくのかもしれません。
※写真:おなじみのパッケージの「玉三白玉粉」(左)と、切って茹でるだけで食べられる「即席白玉」(中)、即食・簡便ニーズに応えるために昨年発売した「冷凍白玉」(右)。

2.高橋製粉株式会社

小麦粉で名店のラーメン・パン・蕎麦を支える100年企業

 松戸市内・千葉県内のみならず、ラーメン・パン・蕎麦といった小麦を利用している全国の飲食店・メーカーを長年支えている企業が松戸市にあります。千葉県指定の天然記念物「浅間神社の極相林(松戸市小山)」近くの緑豊かなエリアに本社を構える高橋製粉株式会社は、1907年(明治40年)に同地に創業し、今年で115周年を迎える製粉メーカーです。あらゆる産業の機械化が進んでいた当時、小麦粉の業界では未だ機械化が進展していなかったところに目を付けた初代の高橋庄吉(たかはししょうきち)氏が、アメリカのウルフ社から製粉機一式を輸入し創業しました。導入の際には現地から社員が指導に訪れ、「松戸にアメリカ人が来ているらしい」と聞きつけた人々がひと目見ようと会社の周りに人だかりができたという逸話も残っています。
 関東大震災や太平洋戦争などの混乱期を切り抜けた同社は、その後も工場の近代化・合理化を進め続けて日本の高度成長期を支えてきました。2011年の東日本大震災の際には、製粉機の緊急停止装置を工場内のみならず事務所や休憩室にも設置していたことが功を奏しました。大きな揺れを感じた瞬間に緊急停止ボタンが押され、機械の構造上大きな揺れに弱い機器類には全く被害が出なかったそうです。
 5代目の現代表取締役・高橋一公(たかはしかずきみ)社長によると、「この20年~30年の間で同社の小麦粉の売り上げにある傾向がみられるようになった」そうです。これまではパン用小麦粉が主力でしたが、ラーメン用小麦粉が伸長してきたのです。自家製麺にこだわる個人店が増えてきたことが理由と考えられています。個人店主は群雄割拠のラーメンブームを乗り越えるべく、スープのオリジナリティだけでなく、それに合う麺も専用でつくる必要があると考える傾向が強くなっているようです。


 高橋製粉も専用小麦粉の開発に携わっています。埼玉県川口市に店舗を構える「麺屋 桐龍(めんや きりゅう)」は、豚・鶏などをベースにした濃厚なスープ、ゴワゴワとした食感で噛みしめた時に小麦の香りを楽しめる麺が特徴の人気店です。高橋製粉の小麦粉でしか出せない食感と香りであると評価されています。また、松戸市内で全国的な知名度を誇る人気店「兎に角(とにかく)」では、同店のオープン以来、提供する麺(ラーメン・つけ麺・油そば)に高橋製粉の小麦粉を使用しています。通常、小麦粉は問屋を通すケースがほとんどの中で直接納入しているのは、お互いが麺の品質にこだわり、共に開発に取り組みながら信頼関係を構築してきたからだそうです。同店の人気のみならず、「ラーメンの街・松戸」を支えていると言っても過言ではないでしょう。
 高橋製粉の小麦粉は、個人店の他、大手即席麺メーカー、飲食店では蕎麦チェーン「富士そば(そば粉のつなぎ役として活用)」などで、ベーカリーでは千葉県の人気店「サフラン」や「ピーターパン」などで使用されています。さらに、同社は自社開発の麺を使用した店舗も運営しています。元々商品の納入先だった「東京豚骨ラーメンばんから」のフランチャイジーとして、しゃかりき松戸店・ばんから豊四季店・しゃかりき川口店の3店を経営しています。同社は今後取り組みたいこととして、小麦粉の他、自社の製麺専門企業・ジェイピーヌードル株式会社で製造する麺を使用した外食店のさらなる展開を掲げています。
 これからも高橋製粉は、松戸の地から日本の麺文化を舞台の表裏で支え、その発展に貢献し続けるでしょう。

3.山崎製パン松戸第一・第二工場

日本のパン文化の発展に貢献している工場が松戸に!

 JR常磐線・松戸駅から北松戸駅の間の車窓を眺めていると、「ヤマザキ」と入った目立つ看板が目に飛び込んできます。そこにあるのは、山崎製パン株式会社の松戸第一工場です。700メートルほど先にある松戸第二工場を合わせて約1,400名が働く両工場は、昭和・平成の日本のパン文化の発展を支えてきました。山崎製パンの歴史は、1948年3月に隣接する千葉県市川市に創業者である飯島藤十郎氏が山崎製パン所を開業し、パンの委託加工を始めたところにまでさかのぼります。同年6月に株式会社化され、一般向けの和菓子や洋菓子の製造・販売を経て、1955年に食パンの量産化に成功、その後、千葉・横浜・武蔵野エリアなどに工場を拡大してきました。
 1960年代、市川工場の近くを流れる江戸川の堤防拡張工事の影響で同工場の規模縮小を余儀なくされます。折しも、当時は全国的にパンの売り上げが急激に伸びていた時代で、いくらパンを製造しても追いつかない状況でした。工場が減ってしまったら一大事というときに移転先として白羽の矢が立ったのが、工場の誘致を進めていた松戸市でした。立地も市川の近くであったことから移転が決定し、1966年から稼働を開始しました。


 それからおよそ四半世紀後、松戸第二工場が建設されます。きっかけは、ミミまでソフトな食感が特徴の食パン『ダブルソフト』の誕生です。1989年に発売され、およそ8か月間で約100億円を売り上げた同商品は、当時の工場数だけでは生産が間に合わず、新たな工場が必要となりました。そこで新たに松戸第二工場の建設が決定、1992年に竣工・営業を開始し、ダブルソフトの供給を支えました。
 山崎製パン松戸第一・第二工場は、大規模災害時の松戸市民の生活も支えています。1997年9月に同工場と松戸市は「災害時における飲料水等の供給の協力に関する協定」を締結し、災害発生時に同工場の所有する井戸による飲料水等を供給いただく協定を結びました。翌年11月には「災害時における物資供給に関する協定」を締結し、大規模災害発生時に迅速で的確な対応が取れるようパンを供給いただく災害時応援協定を結んでいます。協定に基づき、これまでに震災や台風の際に同工場から松戸市へパンの供給協力をいただくなど、同工場ならではの積極的な地域貢献に取り組まれています。そのような姿勢に好感も抱いているからか、松戸市民が購入するパンメーカーの首位は山崎製パン(79.5%、全体n=390)でした。今後も地元にある工場として愛され続け、昭和・平成に続き令和もパン文化を支え続けるでしょう。
※写真:それまでの食パンにはなかった柔らかなミミ、トーストしてもソフトな食感を楽しめることで大人気となり、食パン市場の活性化に貢献しました。発売開始から30年以上経過した現在も多くの消費者に愛されているロングセラー商品。

得意げなまつまつ

こうした企業努力が、松戸市みんなの生活を支えてくれているんだね!

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