プリンス徳川カフェ
更新日:2023年8月17日
「プリンス徳川カフェ」について
戸定歴史館は、歴史に多様な面から触れてもらうため、徳川昭武が幕末にヨーロッパで体験した史実に取材したコーヒーの開発に協力しました。
慶応3年(1867年)正月にパリ万博参加のため横浜を出港した徳川昭武や彼に随行した渋沢栄一、杉浦譲たちの日記には度々コーヒーについての記述が見られ、徳川昭武がコーヒーを愛飲していたことが判明します。
味覚から歴史のロマンに触れてもらうために、株式会社サザコーヒーが製造する「プリンス徳川カフェ」の歴史考証を担当しました。
コーヒーの名称は徳川昭武がイギリスの新聞「ジ・イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」1867年12月21日号で精緻な肖像と共に“PRINCE TOKUGAWA”(「プリンス・トクガワ)として紹介されたこと、徳川昭武の自筆仏文日記にコーヒーのことをフランス語で「カフェ」と記していることにちなんでいます。
ジ・イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ 1867年12月21日号
プリンス徳川カフェ の歴史的背景
勝者は歴史を語り、敗者は沈黙する。
沈黙と共に忘れ去られた幻の将軍がいた。徳川昭武(1853-1910)である。フランスと連携し、幕府再生に取り組んだ徳川慶喜は、実弟の昭武を将軍名代(代理)として1867年パリ万国博に派遣した。各国君主が集う世界最大のイベントである。次期将軍として処遇された少年は皇帝達と華麗なる宮廷外交を行った。幕末最大の外交行事である。そこには、フランスからの近代化資金の調達、という狙いもあった。しかし、その直後、明治維新により昭武は帰国を余儀なくされ、最後の水戸藩主となった。もはや、幕府は存在しなかった。
彼がカフェ(珈琲)と出会ったのはこの時の渡欧においてであった。パリへの船中やシェルブールの海岸で珈琲を味わい、自筆仏文日記に、港町「モカ」を珈琲の名産地と記している。昭武や随行した渋沢栄一、杉浦譲たちは珈琲を愛飲していたのである。
この壮大なロマンを探求し、松戸市戸定歴史館とサザコーヒーが、史実に基づきモカをフレンチローストで仕上げたのが「プリンス徳川カフェ」である。
松戸市内での販売について
販売場所
- 松戸観光案内所(一般社団法人 松戸市観光協会、松戸市本町7の3/電話047-703-1100)
- 戸定売店(戸定が丘歴史公園駐車場)
※戸定売店は、土曜・日曜・祝日のみ開店。荒天時等、臨時休業の場合があります。
販売価格(税込)
750円(100グラム)、1,000円(カップオン5袋入)
※戸定邸・戸定歴史館窓口では、販売していません。