このページの先頭です
このページの本文へ移動

知っていると役立つ!防災豆知識

更新日:2014年3月14日

地震発生直後編

地震のあとは火災が発生したり、避難することはもちろんですが、子どもやお年寄り、けが人を安全に避難させることも必要になってきます。落ち着いて行動ができるよう以下の事柄を覚えておきましょう。

1.家の中で火災発生!消火器以外に使えるものは?

油火災でなければ、水をかけて火が小さいうちに消火しましょう。
天ぷら鍋などの火災は、水をかけると油が飛び散って火事を大きくしてしまうので、かけてはいけません。油火災に対応した消火器がない場合は、シーツやバスタオルを水でぬらして固く絞り、大きく広げて鍋をすき間のないように上からおおいます。炎と空気を遮断することによって、火を消し止めることができます。

2.子どもやお年寄りを安全に避難させるには?

勝手に走り回ってしまう子どもや、思うように動けないお年寄りを安全に誘導して避難させるには、「ヒモを使った避難方法」が効果的です。タスキ状のヒモを子どもの胸に巻きつけ、後ろからでも引っ張れるようにします。この方法は、たくさんの子どもを一度に誘導でき、子どもの手も自由になるため、安全確実です。お年寄りの場合も、背中から持ち上げるようにヒモを引っ張ってあげれば、足の不自由な方、体力のない方なども素早く避難させることができます。衣服を引っ張ったりすると、脱げたり破れたりする場合がありますから、やめましょう。

3.暗やみで照明の代わりになるものは?

暗やみでの救出活動は困難を極めます。広い範囲を照らし出すには、車のヘッドライトが役に立ちます。

4.けが人を運ぶときに、担架の代わりになるものは?

物干しざお2本にTシャツやトレーナー(2、3着)の袖の部分を通したり、毛布を巻いて担架にすることができます。また、けが人をイスに座らせて2人で運ぶこともできます。平らな場所を移動するなら、毛布やシーツを下に敷いて引っ張れば、1人でけが人を移動することができます。

5.乾パンをお年寄りや子どもにも食べやすくするには?

固い乾パンも、砕いて牛乳や水に溶いたスキムミルクなどをかければ、柔らかくなりさらに栄養価もアップします。

6.万が一、倒壊家屋の下敷きになったとき、いち早く居場所を知らせるには?

倒壊家屋からの救出には、数時間かかることが多く、消防署員だけでなく全国からの応援隊の協力を得て全力で救助活動を行いましたが、被災地が広範囲で残念ながら全ての方々を助けることができませんでした。倒壊した建物の一つひとつを確認し、生き埋めの気配や可能性があれば、徹底して捜索、救助を行いましたが、これに大きな時間がかかりました。ホイッスルを吹くなどの方法で自分の居場所を知らせることは非常に有効であると思われます。

避難生活編

以下に掲載されている内容は、阪神・淡路大震災後に避難生活を余儀なくされた方々からの貴重な体験談です。多くの犠牲を払ってからの避難生活は、満足な物資も得られず、慣れない共同生活で非常に辛いものがありました。 その中で、助け合いながら生活していくうちにちょっとしたアイデアや知恵がいろいろと浮かんできますが、これらは、実際に不自由な避難生活を体験しないと気付かないことばかりです。そこで、そうした避難生活の知恵を残し、広く伝えていくため、ここに紹介します。

1.水

 3日目にやっと給水車が来ましたが、それまでの間、大変困りました。近くに住吉川が流れていたお蔭で、家族で何度も川まで往復してバケツで水を運び、湯船のなかにためました。それをトイレや洗濯に使いました。飲み水はアウトドア用のポリ容器に入れて使用しました。 (東灘区 女性)

2.食事

焚き火のあとにできた炭は、捨てずにとっておきます。配給される弁当は、この炭の上に網や鉄板、鉄筋を敷き、中身をアルミホイルに包んで温めると美味しく食べることができます。また、汚れた水でも鍋で沸かしてその中へビニール袋で密閉した食べ物を入れて温めると、これもまた美味しく食べられます。炭は焚き火の火を使うより安全です。 (東灘区 17歳 男性)

3.カイロ

地震の前々日に、主人が始めてカイロを沢山買ってきたのでびっくりしていましたが、二日後に地震がやってきて、このカイロが二十四時間役立ったので、これまたびっくりしました。また、昭和29年に引っ越してきたとき炭を利用していましたが、この残りがあり、これにもびっくりしました。若いときに苦しい生活をしていたので、この不思議な偶然に助けられた思いがします。 (東灘区 74歳 女性)

4.電気製品

私の住んでいる住吉台は地震当日の午後から電気が復旧しましたので、湯を沸かすのに電気ポットが役に立ちました。その他、電磁器、電子レンジなどまだ色々ありますが、電気製品がこんなに役立つとは思いませんでした。 (東灘区 女性)

5.ポリ袋

地震直後の避難生活では、毛布などはなかなか手に入れることができなかったので、新聞紙とゴミバケツ用ポリ袋で簡単な布団をつくりました。これは、新聞紙を丸めてポリ袋に詰めるだけの簡単なものでしたが、この中に足を入れていると空気の層が熱の放散を防いでくれるので、温かく過ごすことができました。真冬の夜には何も無いよりましです。 (東灘区 15歳 男性)

6.消毒

私は、弁当や寿司などに付いてくる魚の形をした醤油入れに、毎朝の洗顔時に水を入れ、いつもポケットに入れて持ち歩いています。それは次のことに役立つからです。

  1. 小さい傷をしたとき、傷口を洗うことができる。
  2. 倒壊家屋の瓦礫処理でほこりなどが目に入っても、目の洗浄ができる。
  3. 親指と人さし指の先だけなら充分洗えるので、食べ物をつまみ食いするのに(常に箸やフォークなどがあるとは限らない)最低の条件が整う。
  4. 服に小さな汚れが付いたとき、染みが付くのを防ぐことができる。
  5. 中の水を捨てて、スポイドとして利用できる。(北区 60歳 男性)

7.トイレ

わが家の周囲は、震災後に建っているのはマンションだけというような状態で、私達のマンションも給水タンクが壊れ、外壁が全てないという大きな被害を受けました。ほとんどの住民が鷹匠中学校へ避難しました。その避難所の生活の中で今も思い出すのはトイレのことです。あれほど水洗トイレがうらめしく思えたことはないというくらいのトイレを見ても汚物の山。「水が流せないので、紙は流さない。」「オシッコ以外の汚物、紙は新聞紙に取ってください。」という注意書も全く無視。本当に言葉では言い表せないものがありました。そんな時、避難所で一緒になった女性の方が「私、家でいつもこんな風に簡易のごみ箱を作っておいているんだけど・・・」 と新聞紙を折って作った箱を見せてくれました。それがヒントになり、簡易トイレが誕生しました。
トイレで用を足すとき、それをもって入り、終わったら手を汚さずにごみ箱へ捨てることができます。子供なら電気のついていない時でも校庭の隅でさせてやることもできました。夜に女性、子供が色々な話をしながら、せっせと新聞紙を折っていたことが、今はなつかしい思いです。そのごみ箱を教えてくれた女性の方と新聞紙に深く感謝します。 (灘区 40歳 女性)

8.照明

停電すると、夜は街灯もなく懐中電灯の光が頼りになります。でも、これも束の間、電力の復旧には数日かかるので、電池切れを起こした懐中電灯はただの筒になってしまいます。こうした震災時の長時間の明かりはなかなか手に入りません。そこで気がついたのが、結婚式に使ったウェディングキャンドルでした。ひっくり返った押し入れの中からようやく探し当てて使いました。 (東灘区 26歳 女性)

ワンポイントアドバイス

  • カセット式こんろが非常に役にたった話をよく聞きます。中には鉄板焼きなどで二台並べて使った例もあったようですが、これが非常に危険でした。二台並べるといずれか一方のカセットボンベの位置が中央にくるので、過熱して爆発した例があったようです。便利性だけでなく、危険性にも充分注意してほしいと思います。
  • ライフラインが途絶したあとでもっとも早く復旧するのは、電気のようです。ガスや水道が機能していない間は、電気器具が非常に重宝します。しかし、電気器具のなかには、電気復旧後、発熱して火災に至るケースがあるのです。熱帯魚の保温ヒーターがそれです。地震でガラス水槽が壊れてしまったままで、通電すると水がないので高温になり、付近の可燃物に着火して火災となるのです。震災で停電したあとは、一旦電気ブレーカーを遮断し、電気が復旧した時に確認しながらブレーカーを入れるようにしなくてはなりません。
  • 水道が途絶しているときには、きれいな水はなかなか手に入りません。救急箱にある消毒液などは傷口の消毒に使えますが、食事前の手洗いや子供の顔拭きなどには、利用できません。濡れティッシュなどは非常持出し用の防災グッズに必ず加えておきたいものです。
  • 避難所の仮設トイレは早いところで3日後、遅いところでも1週間くらいで設置されたようでした。家庭では断水でトイレが使えない場合に備え、浴槽のお湯を捨てずに残しておけばトイレ用水として利用することができます。

お問い合わせ

総務部 危機管理課

千葉県松戸市根本387番地の5 別館1階
電話番号:047-366-7309 FAX:047-368-0202

本文ここまで