寺畑助之丞(てらはた・すけのじょう)1892年から1970年 彫刻家
1892(明治25)年11月、富山県高岡市に生まれる。
1913(大正2)年、富山県立高岡工芸学校卒業。東京美術学校予備科に入学。
1918(大正7)年、東京美術学校彫刻科本科塑造部を卒業。
1920(大正9)年、朝鮮総督府技師としてソウルに赴任し、総督府新庁舎一般建築彫刻を担任する。
1922(大正11)年から1925(大正14)年、第1回から4回朝鮮美術展に出品。
1926(大正15)年、東京高等工芸学校工芸図案科工芸彫刻部助教授。
1928(昭和3) 年、構造社展に出品、構造社賞受賞。以後出品を続ける。
1935(昭和10)年、構造社の彫刻部と絵画部の分裂に際して絵画部と行動を共にする。翌年新構造社と改称、彫刻部代表となる。
1936(昭和11)年、文部省美術展覧会第三部無鑑査。
1938(昭和13)年、東京高等工芸学校工芸図案科工芸彫刻部教授。(戦後まもなく退任)
1941・43(昭和16・18)年、新文展出品(無鑑査)。
1944(昭和19)年、戦時特別展出品(無鑑査)。
戦時中、興亜造型文化連盟常務理事。海軍省嘱託(御下賜品制作)。
戦後まもなく、愛知県常滑町で焼き物の工場を始めるが途中で断念。
1950(昭和25)年、自主連立展(新構造社ほか)に出品。没年まで出品を続ける。
1970(昭和45)年6月、没(享年77)。