松岡 壽(まつおか・ひさし)1862年から1944年 洋画家
- 1862(文久2) 年2月、岡山に生まれる。
- 1872(明治5) 年、川上冬崖の聴香読画館で洋画を学ぶ。
フランス人ゲリノーに図学を学ぶ。 - 1876(明治9) 年、工部美術学校創設とともに入学。
イタリア人教師フォンタネージに学ぶ。 - 1878(明治11)年、工部美術学校を退学、同志と「十一会」を結成する。
- 1880(明治13)年、イタリアに留学、国立ローマ美術学校に学ぶ。
- 1887(明治20)年、国立ローマ美術学校を卒業し、パリに移る。
- 1888(明治21)年、帰国。「明治美術会」結成に参加、会の運営にあたる。
- 1892(明治25)年、明治美術学校の創立に参画し、経営と指導にあたる。
- 1906(明治39)年、東京高等工業学校教授、工業図案科長。
- 1907(明治40)年、文展開設に伴い第7回展(1913年)まで審査員を務める。
- 1913(大正2) 年、国民美術協会設立に理事として参加。
農商務省図案及応用作品展覧会(農展)開設に伴い審査員。 - 1917(大正6) 年、大阪・中之島公会堂壁画を制作。
- 1921(大正10)年から1928(昭和3)年、東京高等工芸学校初代校長。
- 1944(昭和19)年4月、没(享年84)。
《イタリーの田舎娘》 1881年
51.7×34.1センチメートル 木炭デッサン
《子守》 1891年
45.6×27.5センチメートル 油彩画
《本を読む少女、弘子像》 1936年
73.0×61.0センチメートル 油彩画
《逗子の風景》 1939年
45.6×53.0センチメートル 油彩画
《奥津風景》 1908年
22.8×33.1センチメートル 油彩画
《銚子の夕映え》 1908年
23.6×33.1センチメートル 油彩画