回廊マップ「大坂(古戦場跡)・西蓮寺・野菊の墓文学碑」から「矢切ねぎ畑」まで
更新日:2013年11月25日
10 大坂(古戦場跡)
地図中にある三つの家紋は、戦国時代における関東地方の三大合戦の一つとして知られる国府台の戦。1564年(永禄7年)で戦った武士の家紋です。小田原の北条氏と小金の高城氏が手を組んで安房の里見氏と戦をし、北条軍が勝利したけれど、両軍合わせて一万人もの戦死者が出たんですって。その激戦地が西蓮寺と野菊苑の間の坂道「大坂」。
北条氏
高城氏
里見氏
11 西蓮寺・野菊の墓文学碑
標高23メートルの下総台地にある西蓮寺からは、江戸川を隔てて東京を一望することができます。夕方の景色が美しい境内には、伊藤左千夫の処女小説『野菊の墓』の文学碑があります。小説が書かれた明治30年代には、江戸川を貸客のために往復する蒸汽外輪船通運丸が遥かに見られたのでしょうか。
12 野菊苑
西蓮寺から歩道橋を渡ると野菊苑展望台です。ここからは富士山を望むことができます。
桜の時季の野菊苑は特にお勧め!
13 庚申塚
中国より伝わった道教に由来する庚申信仰は、江戸時代に盛んになった民間信仰。60日に一度の庚申の日に、仏教では帝釈天・青面金剛を、神道では猿田彦を祀って徹夜で談笑しながら夜を過ごす行事「庚申待ち」を行ない、庚申の日には、健康で安全であるようにと炒り豆やおにぎりを食べたりしたそうです。この庚申塚には、安全地蔵尊・如意輪観音菩薩・青面金剛・延命地蔵菩薩・馬頭観音などがあって、こんなにいくつもの石塔が建っているのは珍しいそうです。
14 矢切神社
1704年(宝永元年)6月の長雨で江戸川は大洪水となり、多数の死者が出たそうです。
これを期に川岸に住んでいた人達は、台地に移り住みました。矢切神社は、もともと下矢切村で祀っていた「稲荷天満宮」と「素戔嗚神社を合祀したもので下矢切村の村社となりました。
山門の狛犬が可愛い!
15 斜面林
松戸市は洪積層の台地と沖積層の低地からできているため、その高低差は、18~20mもあります。その境目には傾斜地が多く、連続した緑地になっていて季節毎に多くの野鳥の姿を見ることができます。
16 矢切ねぎ畑
「矢切」でとれるネギは「矢切ねぎ」として、特許庁の「地域団体商標」に登録されています。普通の青果店にはあまり並ぶことはありませんが、太くて甘みがあり、「焼いてよし、鍋によし」といわれ、料亭料理や贈答品として人気が高いそうです。
11月から12月頃まで「JAとうかつ中央」で予約販売しているので一度食べてみてはいかがでしょうか。
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