一月寺遺石(いちげつじいせき)
更新日:2023年8月16日
松戸市指定文化財 有形 昭和44年4月1日指定
小金の一月寺(いちげつじ)は、鎌倉時代に金先禅師(きんさんぜんじ)によって創建されたといわれていますが、虚無僧の寺、普化宗(ふけしゅう)寺院としての基礎を固めたのは江戸時代に入ってからです。徳川幕府の保護のもとに発展し、青梅の鈴法寺(れいほうじ)とともに普化宗触頭(ふれがしら)として、全国に多くの末寺(まつじ)を持つにいたります。しかし、明治4年(1871年)の太政官布告(だいじょうかんふこく)によって普化宗が廃止されると、一月寺は仏教寺院として認められなくなりました(現在は別の宗派の寺院です)。一月寺遺石は小金公民館前に移設され、その後、本土寺(平賀)を経て萬満寺(馬橋)に移設されました。萬満寺と一月寺は宗派が違いますが、江戸時代の一月寺では住職になる際、萬満寺に参上する取り決めを結ぶなど関係がありました。「開山塔(かいざんとう)」は、享保(きょうほう)16年(1731年)に造立(ぞうりゅう)されたものです。もとは一月寺の境内に建てられていたもので、その下には箱に納められた大乗妙典(だいじょうみょうてん)(主に法華経をさします)が埋められていたということです。自然石の石塔には仏を讃える意味を持つ詞(ことば)である「偈(げ)」が、台石には一月寺の由来文が刻まれています。
「遺墨墳(いぼくふん)」の銘が刻まれた遺石は、江戸時代後半の文政(ぶんせい)・天保(てんぽう)年間に起きた「仙石騒動(せんごくそうどう)」にゆかりのある石碑で、天保14年(1843年)に建てられたものです。
所在地
- 馬橋2547 萬満寺
交通
- JR馬橋駅より徒歩3分
案内図
【市指定有形文化財】一月寺遺石
松戸市馬橋2547 萬満寺